日土巡り遠足(5・6年)
2022年11月25日 15時23分今日は、講師に菊池正先生をお招きし、5・6年生が日土巡り遠足を行い、地元の歴史や文化について学びました。菊池先生は日土東地区の御出身で、旧日土東小学校と日土小学校の統合時に両方の小学校で勤務された経験がおありのため、日土の歴史や文化に大変お詳しく、また現在は本校の放課後児童クラブでもお世話いただいている先生であることから、子どもたちは菊池先生のことが大好きです。
まずは、旧日土東小学校の校舎を見学しました。
現在はイタリアンレストランがあったり、食器や家具などの調度品が展示されていたりします。また、閉校前の学校行事のスナップ写真や卒業記念写真も紹介されていました。3月には校舎中にひな人形が飾られる予定です。
菊池先生から旧日土小学校の校舎を設計した人物について教えていただきました。実は、旧日土東小学校の校舎の設計者が誰なのか、長い間分からなかったのだそうです。それが、閉校時に校舎2階の屋根裏を調べたところ棟板が発見され、それに設計者が「木村保一」と記されていることが分かったそうです。この木村氏は日土の御出身で、戦前から戦後にかけていろいろな学校の校舎の設計をされた方だと教えていただきました。
旧日土東小学校の正門横には、日土小学校と同じように有名な野口雨情の詩を刻んだ石碑が建てられています。それには、「伊予の日土を忘れてなろか 人の情けの厚いとこ」とありました。
樹齢300年を超すハゼの巨木も教えていただきました。昔はハゼの実を収穫し、和ろうそくに使う原料を取り出していました。
旧日土東小学校の運動場で記念撮影。バックには「おいづし山」がくっきり見えました。それにしても、今もなおきれいに整地されている運動場に日土東地区の皆さんの地域愛を感じずにはいられませんでした。
旧日土東小学校を出発し、JA日土東前で再び野口雨情の歌碑について教わりました。「波は渚に 蛍は草に 月は山端に 鮎は瀬に」と刻まれており、自然の美しさを詠んだものでした。野口雨情は昭和の初めに日土町を2回訪れ、たくさんの詩を残しました。後年、日土町の人々がそれらを集めてこのような歌碑を建てたのです。
続いて訪れたのは新西国33カ所巡りの一部です。急な石段や山道を登っていきました。
観音様をお参りした後、菊池先生に新西国33カ所ができたいわれを教えていただきました。
秋の花が美しく咲いている「フラワーランド」の横を通って道を下り、次の目的地へと向かいました。
途中、先の西日本豪雨の爪痕が残る急斜面を眺めました。今回の日土巡り遠足では、自然の美しさや豊かさとともに、怖さも感じることができました。
12:20、最終目的地の横尾地集会所に到着。たくさん歩いたのでおなかがぺこぺこです。お待ちかねのお弁当をみんなでおいしく食べました。
食事を終えると、菊池先生から最後の講義。「上田氷室(ひむろ)」について教えていただきました。昔、横尾地の山の奥に上田氷室があり、冬にできた天然氷を夏まで貯蔵して養蚕業に役立てたそうです。
最後は、横尾地集会所前で日土の山をバックに記念撮影。向こうには「みかんの花祭り」の開催場所の高台が見えます。この後、山道を下って帰路につきました。
菊池正先生に教えていただいたおかげで、今まで知らなかった日土の歴史や文化について知ることができ、とても充実した日土巡り遠足となりました。今、求められているのは、正にこのような体験学習です。今日学んだことは、大人になっても子どもたちの心の中に生き続けることでしょう。菊池正先生、本当にありがとうございました。今後も日土小学校をどうぞよろしくお願いいたします。また、横尾地集会所では保護者の方がジュースを差し入れてくださり、持参した弁当やお菓子と一緒においしくいただきました。ありがとうございました。